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2012年 01月 24日
三宮本通 宵模様
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 三宮センター街(旧西国街道)の一本南側にある三宮本通。阪神・淡路の震災から復旧した後も、古くて野暮ったい商店街だったような気がしたが、いつの間にか色合いが明るくなっていて、小さなお洒落な店がいくつもあった。
 記憶が正しければ、この通りと周辺には小さなダイエーがところどころにあって、この狭い商店街を賑やかにしていたように思う。服の店や惣菜の店といったように分かれていた。
 実家の買い物圏内にあるダイエーといえば、地下鉄の駅の上に、3階、4階のビルを構えて(実際にはビルの中に店を構えて)、関係者には失礼ながら、オレンジ色に塗りつぶされたDのマークの安っぽさを消すかのようにしてお洒落な雰囲気を装う店構えというイメージがあったために、学生時代に初めて商店街の店のようなダイエーを見た時にびっくりした記憶がある。伝説の、草創期のダイエーの名残なのだろう。阪神・淡路の震災前のこと。
 大阪の天神橋筋商店街で、似たような店構えのニチイを、その後に見たことがある。まるで商店街の店のように、カゴを持って、向かい合わせの店を行き来していた。そういえば、ニチイも天神橋筋の商店街からスタートしたスーパーだと聞いたことがある。
 都心の商店街にスーパーができて、いがみ合っていた時代、商店街にはまだ活気があって、生き残りをかけて争っていたのだろう。在来の店が負けていって、震災が淘汰に拍車をかけて、スーパーさえも撤退していって、ぺんぺん草さえも生えなくなるのかと思えば、また芽が出てくる。樹木になるのか、筍になるのか、下草になるのかわからないが、ともあれそうして林や森の植物のように商店街の新陳代謝がどんどん進むということは、弱肉強食の不安定な時代なのだなと、妙に納得したりする。
 戸張の外に置かれたカラの雑誌陳列棚が寂しげだった。

2011年1月上旬 神戸市中央区 三宮本通商店街
Konica HEXAR RF, Voigtlander COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 P II
AGFA Vista 400

by photo-nupuri | 2012-01-24 23:19 |


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